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5月の緩みっぱなしは、神経が延びきって、広がって、ふやけてしまったようである。そのなかには何もたしかなものがない。理由も実体もないのに、ただただ、ふやけて緩んだ状態。これ以上、緩みようがないところまで、際限なく緩んでいる。 だから神経というのが、間の抜けたように鈍くなって、ぼんやりしている、一日中そうである。それが何なのかわからないし、知りようもないし、確かめようもない。ただぼんやりと眠気を誘い、神経が鈍くなってきて、すべてはどうでもよいことのように思えて来るのである。 どんなことでも何とかなるし、どうにでもなるように思えてくる。何か最も肝心なことが抜けていて、理由もなくぼんやりしていて、それでいて、こうした状態がずっと続くように思えてくる。どうでもよいし、何とでもなるし、どうなったところで何も変わらずに、このままこの鈍くてぼーっとした感覚の緩みが、ずっと続くように思えてくるのである。 |
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