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13、空気の色。



5月の太陽が象徴するもの。それは間のぬけた、ふやけて緩んだ空気の色である。

太陽が世界を照らし、カタチと色を与え、またその熱によって生命をはぐくむ。しかし実際には、それらほとんどのすべてを空気が包んでいて、そして人間は空気を通してそれらと接している。空気が世界を支配している。 

空気の色が人間の情緒と感覚に、無意識の方向性と制約を課している。空気の熱が、感情の起伏と明朗さに影響している。そして空気の湿気(水分)が、生物の成長と深く関係している。

それに、空気の匂いや風も、触れる肌ざわりもそうだ。それらすべてのことが一体となって人間の情緒に影響し、あるいは、人間の情緒そのものとなっている。そして、それらのことが、空気の色で示され象徴されているのである。

もしかすると私たち人間は、そのようなものとして空気の色を見てきてのではないだろうか。空気に色が感じられるのはこのためではないだろうか。私たち人間は、そのようなものとして「色」というのを感じ取ってきたのではないだろうか。あるいは、このような情緒を「色」でもって自らが象徴し、感じ取ってきたのではないだろうか。

人間が、様々な色でもって、自分たちの心の動きを感じ取って来たのは、自分たちの中にこのような示唆し暗示するような、無意識の果てしのない体験の堆積があったからではないだろうか。

「色」というのを感じるという、そうした感覚自体が、このような無限世代の数千数万年に及ぶ体験の堆積の結果なのではないだろうか。あるいは、このような数万年に及ぶ蓄積された堆積物の実体が、「色」という感覚をもたらしたのではないだろうか。

春は白、夏は黄、秋はグレー、冬は青。これが季節を意味する色となっている。そしてこれが季節ごとの空気の実際に見える色でもある。観念的にも、また、現実にも人間はそのように空気の色を見ている。


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