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7、祈り。



それは、自分の中にあった得体の知れない感情といったものが、姿やカタチとなって外の世界に表現されたのである。永遠に生きる「種」としてのタマシイが、形となって表現されたのである。自分の肉体のなかにあったものが、自己を主張して外の現実へと出て来ている。自分自身の身体の動きや声の音色として。

自分の中にあった何かが伝わてくる。ささやき、問いかけ、つぶやいている。たんに肉体を維持するに過ぎなかった心臓の鼓動が、何かを求め、訴え、祈る、そうした精神の鼓動の音色(ねいろ)として聞こえてくる。体内を流れる血の動きが、抑えられない感情の抑揚として、あるいは、呼吸する息吹きがその調べとなって伝わってくる。

それは単に、肉体が自己を維持するために生きて活動している、といったものではなくて、自分のなかから何かが外へ出て来ている。詩や踊りや、なにかの儀式の「型」として。一つの様式として。精神の音色(ねいろ)やリズムとして。外の現実世界において自己を現し、表現しているのである。精神の祈りや願い、憧(あこが)れとして、そうなのである。


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