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なにかを求め、なにかを指向し、そして導かれてゆく。どうしようもなく惹かれ、吸い込まれて行く。そうした精神のあり方、そしてその振舞いや動きといったもの、いいかえれば、自分自身の、感性や感じ方の情緒といったもの。 それらが、民族とか、あるいは個人にとっての自意識の根底にあるように思えてくるのである。そしてそれが、自己の必然性であり、自意識の背景にあるように思えてくるのである。 自分というのが何であり、自分というのを目に見える形で表現しているのがこれであり、そうやって自分を確かめ、納得しているのである。祭礼や歳事記、宗教儀式のうちに人々は、自分自身の自己認識の姿を見ているのである。 |
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