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そうした過去の歴史との対話とつながりの中で、自分が確かめられ、自己の必然性といったものが認められ、意識され、そして自覚される。古代の信仰や伝統文化に属する詩や舞い、芸能、そしてその立居振舞やリズム、宗教儀式などがそうである。 私たちは、そうした行為のうちに、祖先の記憶の世界を見ているのである。そして自分のなかでそれを、発掘し、発見し、再生し、創造しているのである。 自分の中にあるすべての感覚、見るもの、聞くもの、触れるもの、等などのすべてが一体となって、そして、自分の身体の外に感じるものだけでなく、自分の身体の中に感じる鼓動の音や、呼吸の息吹き、神経や生理作用のパターンといったものまでが、それらすべてが全体となって連続し、リズムとなり、アンサンブルとなって統合されてゆく。 そうしたことが自分の中で否応(いやおう)なく感じられてくるのである。自分を捉えて離さず、絶対的な強制力として自分を支配しているのである。 |
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