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何かが見えるとか感じられるといったことは、そこに、その周りのものとは異なる何かがあるからである。あるいは、自分とは異なる何か別のものがそこにあって、自分の意思や、自分を成り立たせている原理とは何か別の原理や必然性が、そこにあって、それが何か自分とは別のものとして感じられるということである。 自分でコントロールも出来ず、知り尽くすことも出来ない正体不明の得体の知れないもの。それが自分の外にある世界であり、そしてまた自分自身の精神の世界でもある。それは結局、自分との係わりの中でしか知り得ず、そうしてその限りで知ることの出来るものであり、そしてまた、自分にとってはそれで十分なのである。 それ以上知る必要もないものなのである。自分とかかわりのないことなど知りようもなく、また仮に知り得たとしても、現実とはいかなる意味でも関係のない空想でしかない。それどころか、この空想自体が、自分が感じたり知り得たところの、この現実から来ているのである。だから従ってまた、人間は自分と関係のあることしか知り得ないのである。そしてまた、それで十分なのである。 |
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