index < 日誌 < ai原理< 「信じるもの」/ |
「空想」といっても、具体的な現実からのイメージや感覚なしに空想すること自体が不可能なのである。そしてまた、この空想自体も自分の中にある、思考の型式、原理や必然性に従って見ているのであって、その範囲内でしか何も見ることも考えることも出来ないのである。 そして「思考」も、実際にはそれを司(つかさど)る頭脳のカタチや構造から成り立っていて、それの条件や必然性に支配され、そうした閉じた囲いの中で機能しているのである。空想も、意識の仕方も、生理や感覚の感じ方も、さらに好みや感性の傾向も、そして善悪の判断の仕方もまたそうなのである。 さらにそれから生成されてきた道徳のパターン、戒めや習慣などがまたそうなのである。それは生存の仕方として受け継がれ、定まり、固定してきた人間の文化の「型」でもある。例えば、人間の生存のための食べ物の獲得の仕方がそうである。願いや祈りといった人間が欲するもの、信じるものの多くが、まさにそこから来ていると思えるのである。 |