index < 日誌 < 2018 < 15「夢の中」 |
夢のなかの私は、夢を見ている私ではない。夢のなかでの私は自分でもありうるし、また反対に他人だったりもするのである。つまり、自分と他人との区別があいまいなのである。自分と他人のケジメがなく境界がないのである。 夢のなかでは、自分の人格というのが、あちらこちらへと移動するのである。そして、この人格と表面上の外観、すなわち、人格の「入れ物」としての肉体が一致することなく分離している。例えば、目の前の相手だけでなく第三者とか、あるいはカタチのない空間そのものが私自身だったりもするのである。 肉体という空間の制約を無視して、人格はどこへでも、何にでも、そして誰に対しても入り込んでいって乗り移り、取り憑き、そしてなり済ます。そうした、とりとめのない世界を、人格という魂(タマシイ)だけが、肉体から離れて、ひらひらとさまよっている。 |