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人格が、その実体としての肉体から分離したので、そうした世界はなんにでもなる。私とその相手、人間同士、物と物との関係が、際限なく薄れていく。物としては、はっきりと見えて区別されたままであるが、その本質が、あちらこちらへと移動して、乗り移っていくのである。まるで、オバケが人間に取りつくように。 自分の精神は実体を喪失して、どんなものにも取り付いてゆく。肉体から分離した私の魂(タマシイ)は、どんなものにでも、とりつき、乗り移ることができる。目の前の壁や空気、犬やネコ、それに他人にも乗り移って、まるでそれが本当の自分のように思えてくる。そして、それを見ている私の肉体も、本当は他人なのかも知れないのである。 そして、さっきから私をじっと見つめている、目の前の岩が、実は本当の自分自身なのかも知れないのである。そして、この岩に、いつのまにか目が浮かんできて、はじっこの方が延びてきて、手が出てきたり、足になったり、そしていつのまにか犬になったり、人間になっていたりもするのである。これは、いったい何なのだ? |