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2、なぞ。



直感というのが謎(なぞ)として、直感のままで表現される。これは、衝動や衝撃を越えて、その次にやって来る「感覚」である。そしてまた、コトバや、何らかの考えにまで達することのない「感覚」である。未知の感覚に対する精神の、直接の盲目的表現である。

だとすると、それは無機物では表現できない。衝動や衝撃、恐ろしさや楽しさは表現できても、心の中のわだかまりや、ゆれ動く心情は無機的な物体では表現できないのである。心の中までは表現できないのである。

だからそれは、生き物の姿に求めるしかなかったのである。自分であって自分でないもの。そして人間であって人間でないもの。それは人間の、それも自分自身の心のナゾを、動物の表情やその姿に求めたのである。だから、顔は人間で、身体は獣の姿(すがた)として表現されたのである。それ以外に無かったように思えるのである。


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