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「象徴」とは、直接的である。本能的で直感的でもある。なにもかも無視して、素通りして、直接、精神の中心部へ到達してくる。 しかし、それが何なのか、なぜに、これほどの衝撃を持つのか、いったいどういうわけでそうなのか、そうした理由や意味といったものが、自分でもよくわからないのである。 にもかかわらず、精神をとらえて離さず、気になって仕方がなく、無視することが出来ずにいるのである。無視して忘れたつもりでいても、必ずどこかで、なにかのきっかけで、ふっと表面に躍り出てくるのである。 そしてそれが何なのか、なぜ忘れられずにいるのか、自分でもわからないのである。そしてそのことが、また、そうした自分というのが、強く印象に残ってしまうのである。理由なき自己の根源といったものを、強く感じてしまうのである。 コトバとか理屈とか、あるいは、思い込みや、気まぐれ、感情といったもの。 実は、それら以前のところに、しまい込まれていた、自分自身の痕跡や、遠い昔の追憶のかなたに消えていた、何かの思い出のカケラみたいなものを、強く感じてしまうのである。そして、それが何かと聞かれても、誰にもわからない。「象徴」とは、そうしたことではないだろうか。 |