index < 日誌 < af必然 ak春 < 「春カスミーC」p13/ |
どこにでもあるような、現実の情景、また、その印象といったものが何かを予感させ、暗示するような象徴のように見えてくるのである。まるで、何かを指し示す符号や記号のように思えてくる。気づかぬまま、知らずしらずのうちに、その中へ引き込まれて、吸い込まれてゆく。言い知れぬ、とらえどころのない何かの象徴として自分を支配し誘っている。 それがはたして何なのかと問われても、うまく答えられない。自分でもよくわからないのである。本能とか無意識の「衝動」とでもいったものなのである。いまだハッキリとイメージ出来ないままの「直感」を超えることがないのである。論理的整合性や、思考とか意識を無視した何かわけのわからない、それでいて、そうとしか言いようのない「第六感」とでもいったものなのである。 だれかが、そして何かが僕をいざない、そして自分みずからもそれを欲し、求め、指向している。そうしたことが自分の感覚の外から、感覚の中へと侵入して来るのである。僕自身の中へ何かが入って来て、そしてそれ以前に、僕もそれをのぞみ、願い、まねいていたのである。僕自身も、それを必要としていたのである。 |
index < 日誌 < af必然 ak春 < 「春カスミーC」p13/