index < 日誌 < al境界 < 「精神の領域」7p/ |
コトバの概念の世界や、目に見える何かの彫像や、その表面にも確かに精神は感じられるし、伝わってもくる。見るもの、聞くもの、触れるもの、それらすべてに精神の表現のようなものを感じるのである。現実の世界に精神が現れている。あるいは、現実とは精神の現れであるとも言える。 たとえば何かの考えや、その感情の表現として、人間の顔の表情にもそれが現れている。そしてこの顔つきや表情といったものは、その民族の暮らし方や、生活のパターンと密接に関係している。これもまた、自己の内面の精神が、外の世界に反射して映し出したものだ。それを自分の感覚が見ているのだ。自分で自分の感覚を見ているのである。 精神の内面というのは、外の現実の反映であって、それがその顔つきや表情として現れているのである。しかし、そうしたことがまた、何かの記号や符号・暗示のように思えてくるのである。何かが予感され、その前兆のようにも思えてくる。 このような印象、そしてそれを象徴するものとして外の世界が感じられ、見えて来るのである。自分にとっての現実とは、このような象徴の世界でしかないのだろうか。しかしまた、そのようなものとして見ている、この私自身とは、いったい誰なのだ。 それは、特徴とか個性といったもので、他のものとは明確に区別される、際立つ特徴といったもので、それが表面に現れている。それが、自分自身を支配している原理とか理由といったもので、それが他者と区別されるカタチとなって、表面に出てきているのである。そこにしか見られない独自の型式や自律性として。 |
index < 日誌 < al境界 < 「精神の領域」7p/