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5、保存。



もう一つは、ユーラシア大陸、主に中国との関係である。常にカガミを見ている感じで、大陸を通して自分自身を見ている。中国のようになりたい、もしくは、なりたくないものとして。そうやって自分を省みては、自分を律して来たのである。

それは世界史上でも見ることが出来る。例えばスパルタとアテネ。20世紀の共産諸国と自由諸国。現在のイスラム国と先進国との関係がそうである。あるいはまた、戦時中アメリカを限りなく憎しみ忌み嫌いながらも、戦後日本が、アメリカに憧(あこが)れ、アメリカを目指し、アメリカ化していったように。

そうやって、自らのアイデンティティーといったものを、自分で変異していったのである。それと気づくことのいままで、自分で自分を変えていったのである。あるいは、変えてゆくしかなかったのである。模範的な文化的植民地と化したのである。ものが豊になり、そして自由にものが言えるようになったのである。

見えない壁を越えて、未知の異なる世界を通して自分を見ている。自分を確かめ、自分をより強く意識し、理解もし、そしてよりもっと自分をハッキリした明確なものへと、自分で自分を作り変えて行くのである。そうやって、自分で自分を生み出し形成してゆくのである。自己をより確かなものへと保存し、継続して行くのである。


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