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そして、このような異質な世界の現れ方、表現のされ方、そしてその感じ方や見え方といったものは、実は、そうしたタイプの人間、あるいは「種」、または民族や国民性の自意識・アイデンティティーと深く関係している。 もともと、民族が形成されたという時点で、その民族が生れ出た自然環境や、それ以前の民族の意識そのものの中に、すでに何らかの指向性として内在していたものなである。潜在的な可能性に過ぎなかったものが、表に現れ出てきたのである。数多くある様々な可能性の中から、その中の一つが、何らかの偶然から現実に出てきたのである。 自意識・アイデンティティーは、その時点ですでにそれ自体が指向性を持つものとして、民族の生存の様式や、精神構造のなかに組み込まれている。そもそも、様式や構造、システム自体がなんらかの指向性を持たざるを得ないのである。それは進化の歴史であり、システムの条件であり、前提そのものなのである。 例えば、日本ではそれは、変化する自然環境に対する、感覚のリズムや情緒として現れている。それは単に、四季のみならず、地震や台風、湿気の多い気候、島国という地政学的条件としてもそうである。 そしてそこに生きる類型としての民族の気質や気性といったものが、そこから理解されもするし、システムの規則性や秩序の型式もまた、そこから説明もされる。政治体制や信仰もまたそうである。また、歴史の特殊な制約された形式・パターンもそうである。 |