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春の日の穏(おだや)かさ、もっと正直に言うと、うるわしさ。あれはいったい何なのだろう。冬と夏の間にあって、いまだ少し肌寒く、そして優しげな太陽の暖かさ。夏のような暑さではなく、冬のような冷たさでもなく、暖(あたた)かいのである。それが優しくカラダをつつみ、照らし出している。自分が出ている。外の世界と交流している。それもあらわに、ありのままで。 殻(から)の中にこもって固く閉ざされていたものが出ている。開いて、めばえて、めざめている。なにかが始まっている。景色の中で、景色がゆるんで開いてきて、そして、いままで隠れて見えなかったものが、あらわになって、その本当の姿を地肌のままで、何もかくさずに、そのままのすがたであらわに出している。 戸惑い、さ迷い、ためらいながらも、自らのすがたをあらわに見せ始めている。外はまだ肌ざむい。だがしかし、ひきこもってしまうほどの寒さではない。むしろ、あたたかい太陽の陽ざしの下へ導きいざなうような、そんな心地よい肌寒さである。 事実、空気はまだ少し冷たいが、耐えられないというほどではなく、むしろそれよりも、太陽のあたたかい陽ざしが世界をまんべんなく照らしていて、そのもとへ、見える景色へと自分をいざない、導き、そして開かせているのである。心地よい充実した、引き締まった爽やかな冷たさの中から、暖かい陽ざしに向かって生命が溢れて満ちてくる。麗(うるわ)しき情景とは、このことだ。 |