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6、象徴の色。



さて、春の空気のシロさであるが、それはベタつくことのない、ムレることもない、そしてまた、かすれることも、あかぎれすることもない、そうした水蒸気のシロさ、潤いのシロさである。

同じ湿度数であっても、気温の異なる夏と冬とでは、それに含まれる水蒸気の量自体が根本的に異なるのである。基準となる飽和水蒸気の許容量自体が、冬では夏の4分の1に満たないのである。

だから、春は凌(しの)ぎやすいのである。多過ぎることも少な過ぎることもないのである。そうして何かにいだかれて包まれているような、優しげで心地よい感じがするのである。

いだかれてというのは、春カスミの上昇してゆく不飽和水蒸気の多さなのである。それも人間の素肌にちょうど良い、少し冷たく感じるくらいの、潤いのあるカスミのシロさなのである。

このカスミのなかの水分が人間を優しく包み、素肌と空気と水が親しく交流している。潤いとは、身体と大気が交流しているのである。だから身体は、いまだ冷たさの残る大気の中にあって少し緊張ぎみであるが、すでにめざめて、暖かさを求めて開いている。そしてすでに緩(ゆる)み始めている。

そしてまた、暖かさ、優しさというのが、世界をおおい尽くす白いカスミを通して、広がり散らばって行き、乱反射を繰り返し、いっそう優しげで気持ちの良い空気となって、人々をつつみ、いだいている。影の薄い拡散反射を繰り返す光もそうである。だから、春の日々の空気の「白さ」というのは、そうした優しさの象徴の色なのである。


戻る。              続く。

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