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5、身体の感じ方。



この春カスミの空気の白さ、豊かな水の潤いというのを詳しく考えてみる必要がある。

湿度とは、大気中の飽和水蒸気の度数(割合・パーセント)を数字で示したものである。ところが、飽和水蒸気の量自体が、大気の温度によって全然異なってくるのである。だから、気温の違う夏と冬とでは、同じ湿度数であっても、それに含まれる水分の量自体は、全然違ってくるのである。

温度によって、「湿度」で示される水分の絶対量自体が根本的に違ってくるのである。同じ「湿度」であっても、温度が違うと、飽和水蒸気の許容量自体が全く大きく異なって来るのである。

例えば常温で、気温が10度上がると、それに含まれる飽和水蒸気の量は、約2倍になる。だから同じ湿度数であっても、夏はむし暑くムレる。水蒸気の絶対量が多いのである。ところが、同じ湿度数であっても冬はムレない。冬の大気中の飽和水蒸気の量自体が、夏の、およそ、4分の1以下にもならないのである。

だから、春の潤いといのは、夏のムシ暑さでもなく、冬の乾燥でもなく、いまからめざめ始めた植物にとっては、ちょうどよい、潤い(=湿気)であり、気温なのである。

気温というのは、熱の高さという「質」を示しているが、その「量」というのは、実際には、大気中に含まれる水蒸気の量を意味している。質×量が、「熱」の強さなのである。だから湿気の多い日本では、夏はムシ熱く、冬は肌寒いのである。要するに夏も冬も、大陸に比べて湿気が多いのである。

湿気の少ないところでは、夏でも汗で身体がベタつくことはない。また、冬はもっと気温の低いところでも、寒いと言わずに痛いと言っている、そう感じるとのことである。

いずれにしてみても、空気の潤いというは、生物にとって見れば、気温と密接に関係している。しのぎやすさとか、心地良さ、また、その感じ方というのが、全然違ってくるからである。


戻る。              続く。

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