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いまだ、内面と外面がキッチリと分離されていないのである。内面と外面の間にある情緒といったものが、いまだハッキリと安定することが出来ずに、それが白いカスミの中で、まるで幻のように現れては消えてゆく、そうした遠くの景色の情景として映し出され、表現されるのである。 だからこそまた、よく見えるのである。何の偏見も前提もなく、ありのまま、そのままでよく見えるのである。ストレートで、直感的で、本能的なのである。理屈無しで、自分の肉体が感じるままに見えて来るのである。それは、内面と外面がいまだハッキリと区別されずにいて、自然というのが、ありのままに自分自身に問いかけ、感じられても来るからである。 そうして自然は、そのすべてを開いて映し出している。自らの姿をありのままに、何のかざりもなく、なんら身がまえもせずに素肌のままで見せている。自分のすべてをあらわに映し出している。そして人間は、そうした自然というのを、そしてまた自分自身というのを、素直に受け入れるしかないのである。 そしてそれはまた、それを見る者の心の中の風景、印象と象徴の世界でもある。意識されることのない無意識の世界の中で、何かを予感し、求め、いざない、そしてさ迷い続けているのである。そうした情緒の世界を私たちは生きている。 |
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