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10、始まり。



新しい現実、それはいまだ未知の世界であって、何もわからず、見たことも聞いたこともない世界である。だから、それを何かの目的としたり、概念化したりすることが出来ないのである。そもそも、なにもかも不明なのだから。にもかかわらず、そうした世界を私たちは生きている。

ここで生きているということは、そうするしかないからである。まったく、自分の願いや意思とは関係のないことであって、不本意ながらそうするしかないからである。そうする以外に、生きて行く方法がないから、そうするのである。

だから、求めるとか、導かれるといううよりも、せっぱつまって、追い立てられて、現実の何もかもが破壊されて、もはや、そこに踏みとどまることが不可能になってからである。そうやって始めて、外へ向かって出て行くのである。仕方なしに。

そうやって、やむにやまれず、まことに致し方なく、異質な新しい現実へとでて行く。出て行くしか無かったのである。それしかあり得なかった。そうする以外に生きて行く方法が無かったのである。これが現実なのである。

自分の気持ちや意思よりも先に生きて行かなければならない。などという、どうにもならない現実の要求が、人間を動かしているのである。そうした意味で、それは人間の自由意思など入る余地が全くない、必然性、宿命とでもいったものなのである。


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