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それは、肉体の機能や仕組み、そのものの記憶なのである。肉体そのものの生理作用や神経作用の仕方として受け継がれて来たのである。そうしたことが、白いカスミの印象として肉体の記憶の中に、何らかの痕跡として残り続けてきたのではないだろうか。 だから意識されることもないし、あるいは、何かを特に感じるといったこともないのであるが、それ以前に情緒とか雰囲気として、自分自身の無意識の世界に入り込んで来ているのである。 このような意識せざる情緒といったものは、生理や神経作用の固有の傾向・特徴といったもので、風土的・歴史的なものと言える。そしてまた、無意識の内にそこに暮らす人々を支配し、突き動かし、追い立てている条件・背景といったものである。 このような情緒の世界を私たちは生きている。例えるなら私たちは、私たちを包む空気のような情緒の世界を生きている。精神は、ふわふわヒラヒラただよいながら、情緒の世界をさ迷っているのである。そしてまた、この情緒の世界を離れたところに、精神は成り立ち得ないのである。そしてこれが、私たち人間が生きている条件と背景をかたち作っているのである。 |