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ヨーロッパの地形は、特に地中海沿岸地域は、農業、商工業、貿易(=略奪)などが、いつも入り乱れて、不安定にさ迷い、移動し、変化し続けてきた世界である。それは、東アジアとは対照的な世界である。 東アジアは文明が発生した時点、つまり、農耕が開始された時点から、同じ民族が、同じ生産の様式(稲作)で、そして同じ場所で、先祖伝来ずっと同じように生きてきた。稲作をメインにする限り、それは不可避である。そうしてのみ、文明が維持・保存・継続されたのである。 そうである限り、王を頂点とする家父長制、およびその物的・現実的条件としての、土地の支配と相続に基づく上下関係が固定するのは当然である。むしろ、支配的で主要な生産システムとしての稲作、言い換えると土地の占有こそが、そうした支配関係と道徳の根源にあったのではないだろうか。 それは、変化も、移動も、交替もない社会である。大朝が替わっても、中身は何も変わることがなかった。日本では、その大朝も替わることがなかった。何もかもが初めから先天的にサダメられていて、それに疑問をいだいたり、考えたりすることが許されなかったのである。または、考える必要がなかったのである。考えたところで、それは誰にもどうにもならないことだったのである。 このような生存と意識の様式の根本的な相違が、個人の自立に深く関与していて、ヨーロッパでは個人主義が、そしてアジアでは集団主義が主流となったのではないだろうか。 そして、その条件と前提となったのが生産の様式であり、そしてこの様式を決定づけたのが、地理的・気候的条件といった自然環境と、そこから形成されてきた感覚や感じ方の気質や情緒といったものである。つまり、情緒としての風土が、そこに住む人間の意識の「型」を決定づけていると言える。 |
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