index < 日誌 <af必然< 「言葉」p7/


 
6、コトバ。



だから、現在使われているコトバは、無意識のうちに、そうした「表意文字」の意味が混入されたものであって、必ずしも日本語本来の意味を正確に伝えていない、と思うのである。

もちろん、現在使われている日本語も、日本語であるとしか言いようがないのであって、そしてこれがまさに日本語なのである。だから日本語が不正確などとはけっして言えないのである。だから、そうした意味ではなくて、日本語が本来持っていた、
根源的な意味合いといったものが、いつの間にか忘れらてしまったのではないか、ということなのである。

直接的で直感的、情緒的で本能的な感じ方といったものを、忘れたのではないかということである。無意識の感覚の世界、考えるとか意識する以前の精神の世界が持っていた、本能的な直感の世界が薄れたのではないかということである。文字が入って来て、本来のコトバが持っていた漠然としたイメージが破壊され、固定され、特定されて行く。

コトバが多種多様に特殊化し固定される前の、包括的で、いまだボンヤリしていて、個人の気まぐれや思い込み、その時々の気分によって大きく左右されていた時代の、そうした、コトバの感じ方といったものを、忘れてしまったのではないだろうか。

自然と精神と肉体といったものが、いまだハッキリと区別されず、一体となっていて、その中から発せられる情緒といったものを、コトバが表現していたのである。呼吸する息の吐息や、鼓動する心臓のリズムや、血液の流れの音、そうした肉体の恐れや憧れ、圧迫や躍動がアンサンブルとなって、そうしたことが肉体から発するコトバとして表現されていたのである。


戻る。              続く。

index < 日誌 <af必然< 「言葉」p7/