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暗い灰色であっても「色」である以上、それは、何色もない真っ暗な世界に、シロ色がほんの少しだけ混じったものである。だが、このほんの少しのシロ色も無くなって、真っ黒だけ、暗闇だけとなった場合、実はこの場合は、なにも感じられないのであって、ということは、色そのものが、そして明暗そのものも無い世界なのである。 だから実際のところ、この場合、目は自分で何かを感じているのかどうかもわからないし、またそれを確かめようがないのである。目のマブタは閉じているのか開いているのか、あるいは、これは夢なのか現実なのか、自分でもわからないのである。 だから、何かを感じている、あるいは意識されるといった場合、目の中はたとえほんの少しでもシロ色、あるいは明るさといったものが感じられていなければならないのである。そうして始めて目とその感覚は生きていて、そして自分はそれを感じているのだと自覚することが出来るのである。 そうして始めて、自分の肉体というのが生きて機能していることが実感できるし、確かめることが出来るのである。だからそれは、暗い灰色なのである。だからそれは、何もない真っ黒ではなくて、何かがあるかも知れない、非常に限りなく薄い白色が混じった、限りなく暗い灰色なのである。「暗い灰色」でなければならないのである。 だから、目を閉じたときに見える、目の中の色は、生きているのか死んでいるのか、あるいは、夢を見ているのか現実を見ているのか判別の出来ない、何も見えない、真っ黒な、暗い闇の色あってはならないのである。そしてまた、目を疲れさすだけのシロ色であってもならないのである。だからまた、何も意識しないでいる時に目の中で見えるのは、限りなく薄くて暗い灰色なのである。 疲れることなくおだやかで、自分ににとって親しく、そしてまた、目の神経が非常に弱くではあるが活動していて、自分が生きていることが確かめられる、そんな明るさ。最低限のギリギリの明るさ、それがうす暗い灰色の世界である。無意識の世界、夢の中、目を閉じた世界の基調の色、背景の色は、この薄くて暗い灰色なのである。 |