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6、オキテ(掟)。



それは、だれかが何かを意図して、何か目的をもって意識的になされたものではない。それはただ偶然の、数百数千年に及ぶ幾世代の思い込みという主観の連続と、その集積がそうさせたのであり、他方、それを外から客観的に見た場合、そうなるしかない、まったくの必然だったと思えても来るし、また、理解もされるのである。それは、それ以外にあり得ないし、それにしかなれない必然と見えてくるのである。

なぜなら、自己同一であり続ける主体の変化といったもの、その主体の内的必然性に基づく原理といったものは、その主体の中にしか無いからである。そして、この場合の主体とは、つまり、日本列島であり、そこで暮らす民族であり、歴史的現実だからである。そしてこのなかにこそ、内的必然性の絶対の原理といったものが存在するのではないだろうか。


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