index < 日誌 < j生理的情緒< 「暗黙の合意」p5/


 
3、偽善。



それは、「自然体」とでも言うのだろうか。
「自然の流れ」とか、「うつろい」といっても、それはやはり偽善でしかないのである。それは、聞こえのよい「偽善」としか言いようがない、偽りの正義である。何もかも周りに合わせているだけで、自分自身を押し殺して偽っているのである。

正義や法律以前に、人間の頭の中がそのように出来ているのである。社会というのが、そのように仕組まれていて、それにシツケられ育てられてきたのである。それをごく自然の当然のこととして。

そのほうがラク(楽)だから。手間いらずで何も考えなくて済むから。そして、まわりのみんなも喜んでくれるから。だから、それがもっともよい、正義とか道徳のように思えてくるのである。しかし、何度でも言う。執拗に言い続けなければならない。「それは間違っている」と。

自分の考えや、自分の自己意識を無視して、まわりに合わせているだけなのである。それも流れにしがみついて。「流れ」というのは、要するに一番強そうな偉そうな人であって、それに「乗ってただよう」というのは、弱そうな誰かを引きずりだして、沈めて、その上に乗っかっているのである。それも、知らんふりして。


戻る。              続く。

index < 日誌  < j生理的情緒< 「暗黙の合意」p5/