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5、動機。



そのすべては自分自身の中にあるのであるが、それを動かす動機や衝動といったものは、いったい、どこからやって来るのだろうか。

一つが、感覚を通して感じられる外からの、直接の刺激である。本能的で反射的なものである。

もう一つが、この外からの刺激が蓄積され、織り合され、混合・混同されて、自分の心のなかで一人歩きを始めた場合である。

肉体の生理や神経、そして、そのパターンやリズムといったものが、アンサンブルとなって、肉体の中の音色となって、表面に出て来た場合である。悩みとか苦しみ、喜びや気分といった感情が、何かしらのイメージとして現れ、表現された場合である。

そしてこの動機は、
A、 「情緒」として。
相手不在の感情以前の、心地よさや気分、雰囲気、空気の重さや暗さ、などといった情緒の動きとして。
B、 「感情」そのものとして。
苦しみや悲しみ、悩みや喜び、楽しさなどといった、感情の動きとして。 しかし、これもまた、その対象たる「相手」がハッキリしないことが多い。
C、 本能的な「衝動」として。
痛さや痒さ、暑さや冷たさ、さらに、恐れやあこがれ、祈りなどといった、指向する本能的な「衝動」の傾向に分類できる。


戻る。             続く。

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