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それは稲作という生存の様式と、そこから導き出されて来る、実際の生活の中に根を張った、もの言わぬ情緒的感覚そのものである。情緒や肉体の生理、人間が生きて、見て、感じて、暮らす、生き方や感じ方のパターンであり、なくてはならない情緒の様式なのである。東アジアの人間が自分を意識し自覚する、自己認識と自意識のカタチなのである。 しかしこの場合、人格の破壊といっても、東アジアには、もともと人格の概念がないので、正確に言うと、西洋から侵入してきた人格や個人という概念に、激しい憤りと拒絶反応を示したということである。それは、自分たちが先祖伝来守って来た、生存の様式をないがしろにして破壊する、災(わざわ)いのタネでしかなかったのである。 自分たちの祖先の魂(たましい)と、自分自身のアイデンティティーを辱(はずか)めるものでしかなかったのである。しかしまた、そうやって初めてアジアは、自分たちの本当の姿を、西洋というカガミ(鏡)の中に見たのである。例えば、得体の知れない未知の、わずらわしくて面倒なだけの、自由や人権、そしてまた「個人」という概念をである。 |
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