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これが固定した絶対の、暮らしと意識の、そして人間の生き方すべてを支配する儒教の規範、模範的・標準的人間のモデルなのである。皇帝(天皇)以外の誰もが、目上の者のドレイであると同時に、目下の者に対してはドレイ所有者なのである。だから差別は、この社会にとって、絶対不可欠の構成要素であって、秩序そのものなのである。 従ってまた、そうである限り変革はあり得ず、あってもならず、固定したままの安定した状態で、ずっと、ずっと同じことが永久にくり返されるのである。たとえ表面上で王朝が変わっても、外面上で皇帝が変わっても、この社会システム自体は、何一つ「変わる」といったことが無いのである。 そしてまた、それは現在に至るもそうなのである。プライバシーや人格といった概念が、なにかしら、どこか歪んでいて、まやかしのように見えてきて、いつまでたっても、それが腑に落ちず、理解もされずにいるのである。それが何か不可解で、どこか非現実の別世界の出来事のように思えてくるのである。それはつまり、自分たちが、プライバシーとか人格のあいまいな世界に住んでいるからなのである。 |
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