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8、指向性。



プライバシーや人権、人格、個の自由と言ったところで、それは不可解でわずらわしく、災いのタネでしか無かった。東アジアにはその必要が無かったのである。

稲作は土地に人々を縛りつけるものであって、そしてこの土地にしがみついてさえいれば、システムは本来の安定を取り戻し、人々は生きて行けたのである。そしてまた東アジアには、生存のための手段としては、この土地、この稲作以外になく、それにしかなり得ず、そうした条件の下を生き続けてきたのである。それがまた東アジアの、永遠に変わらない暮らしと情緒のあり方なのである。

それは、ヨーロッパの場合、かなり事情が異なる。それとは、アイデンティティーのことである。自己の精神と肉体の一体性と、その歴史的継続性のことである。

ヨーロッパの場合、様々雑多な原理が入って来ては、交替し、入り乱れて混乱し、移行し、変異し続けたのである。それは、ヨーロッパ゚の地政学的条件、地理的環境や気候、風土といった自然と歴史の条件に基づいている。

それは、そこにしか無いもの、それだけで自立した、独自で固有の特徴といったものである。常に変化しつつも自己同一であり続ける、自律した内的必然性の原理であり、指向する精神の内的必然性といったものが、そうなのである。


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