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1、中華思想。



精神の内的分裂というのは、どういうカタチ、原因、要素から始まっていようとも、それは、自己が意識されるルート(経路)であり、その裂け目から否応(いやおう)なく自己が意識されてくる。他に意識のされようがないのである。それ以外にないのである。異質なものが対立するところに関係が成り立つのであって、そうした関係性そのものが自己意識の正体なのである。

意識の奥の奥、原初のカタチとしてのフランス民族の根源は、ラテンとゲルマンの異質な混合(ヘーゲル1822)にあって、この関係性において自己を意識しているのである。しかし一般にフランスの場合、文化的中華思想が強く作用していると思わざるを得ない。

ヨーロッパの中心として、ある意味で内と外の区別が無いのである。外の文化はどれも、いずれ、フランスのものになるのであって、そうした外からの文化の入れ替わりのくり返しが、中華思想なのである。つまり、自分自身の中に確固とした自意識がないのである。というより、その必要がなく、また、あってもならないのである。

外の優れた文化を常に吸収し続けなければならず、それが文化的中心というものの正体なのである。だから、根底にあるのは打算である。日和見で、確固とした自分の足場を持たないのである。そうした関係性がフランス人の自意識なのである。それは、今日の中国も同じである。


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