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2、バランス。



もう一つは、外との関係である。
有力なライバルの存在が、自意識というのをより強力に発達させる。自己をより強く意識させたりもする。アテネとスパルタ、カトリックとプロテスタント、かつての全体主義諸国と自由主義諸国への世界の分裂に、それを見ることが出来る。異質な未知のものとの接触によって、自己が意識しなおされ、より個性的で自立した敵対するものへと変わる場合である。もちろん、それとは反対に同化する場合もあるのであるが・・・。

そうしたことは文明の接触によって起こるが、文明の発達のレベルや生産力の差といったものがあり過ぎると、それは同化されるしかない。あるいは反対に、対抗しうる実力がある場合は敵対し、互いに個性化することがある。そうやって、全体としてバランスされるのである。ちょうど男と女のように。

それぞれが相手を必要とし、そして敵対している。あるいは、必要とするがゆえに敵対する。逃げるのでも避けるのでもなく、お互いが相手を従わせようとしている。しかし、そうやってどちらもが、全体として見るとバランスされているのである。

そしてまた、このバランスといったものが、外から見ていると、何か生存の競争とか、適者生存、優勝劣敗のように見えてしまうのである。そう見えるのであって、それが本当なのかどうなのか、というのは別の問題である。

というのは、バランスこそが残るということであり、残ったからこそ、それが現在に至るまで継続していて、現実のものとして存在しているのである。そしてこれをバランス、あるいは調和と言っているのである。


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