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5、普遍。



「白色」、それは色というよりも、純粋な光の明るさなのである。だからまた、個性なき普遍的なもの、永遠で限りないものを感じてしまうのである。そしてまた、「赤色」でもって何かの強烈な戒律が示されるとすれば、その背景色、その対称となる色はこの「白色」以外にないのである。この赤と白のとのパターンでもって、その世界のすべてが象徴されてしまうのである。

白色(しろいろ)は、すべての色を含んでいて、または、すべての色が消えていて、そして、誰に対しても開いていて、普遍的で限りない永遠の輝きみたいなものを感じさせる。シロ色というのは、すべての色の源(みなもと)であって、そしてまた、すべての色を含みことによって、シロ色は「色」では無くなっている。純粋の、明るくまぶしいだけの輝きといった色である。シロ色には「色」という個性が無いのである。

といっても、「水色」のような自由な永遠さではない。そのような具体的な感じ方そのものが消えて失われている。そうした永遠さ、非現実的で、なにもない、すべてが周りに溶けて行って、同化して、消えて、失われてしまったような、そうした、どこかあの世の世界のような色である。非現実的な色、白色という、「色」の向こう側にある「色」。色そのものが消えて、その向こうの、それとは別の、明るさだけの世界のように思えてくるのである。

まぶしさの向こう側にある、目という感覚を超えた向こう側の世界のように思えてくるのである。目の中でめまいがしてきて、色とカタチが消えて、まばゆさだけの光の中の世界のように思えてくるのである。

このシロ色が、黄色という「色」を非常に薄くではあるが、含むことによって、何か異常なものに見えてくる。まぶしさの向こう側に、何か異常なものを感じてしまうのである。眩(まぶ)しさの中にあってはならないものを見てしまうのである。何か果てしない、異常で偏執的な狂気のようなものを感じてしまうのである。


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