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4、必要。



何が言いたいのかというと、人間は、こうした情緒の途切れたところ、めくれて剥がれたところで非現実の世界を見ているということである。人間が無意識に、顔をほんの少し見上げるとき、今までやっている動作が中断しているのであって、そしてそれ以上に、少し胸が開き呼吸が大きくなり、また動作も中断したままで、身体は目的を見失ったまま、自分は何をしたら良いのか分からず、一瞬戸惑いためらいながら非日常と非現実の世界をさ迷っている。

これが「水色」の世界ではないだろうか。届きそうで、決して届かない。そうした果てしなく遠くの世界。自分だけの永遠の自由な世界。もはや、誰からも干渉されることのない、自分だけの自由な精神の世界。

そして実は、こうした感性ないし情緒といったものは、自分自身の身体の生理の作用、およびそうした日々の暮らしそのものが、人間にもたらしたものではないだろうか。これは、無意識のうちに人間が求める自然のなりゆきといったもので、人間の生活そのものが、これを必要としてきたのではないだろうか。


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