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9、カラッポ。



自分と他人の区別がどこかあいまいなところがあって、人権やプライバシーといったものが、どこかぼんやりしている。それが明瞭に理解されることも意識されることもないのである。ランク付けとか規格といったものは、個人の内面と個性を無視したところに成り立つ原理だからである。

現実というものを無視して、世界をあらかじめ思考のなかで設定したカテゴリー(類型)に従って区分けして、その内容にかんけいなく、決められた枠組みの中で「型」にはめてゆく、という考え方である。ただそれだけで、どんなバカでも自分が賢くなったと思えてくる。周りもそのように見なしてくれる。周りもみんなそうだから。つまり、非常に効率的で合理的なのである。管理しやすく統治しやすいタイプの人間なのである。争いがなく協調性があって、非常に行儀の良い社会なのである。

つまり、「形式的」なのである。思考のコピーである。中身が何もない。表面のカタチだけの世界である。表面だけのカラッポで空虚な世界である。外面上は何でもよく見えるが、見えるものの意味が何も無いという世界なのである。


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