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「可能性」


3、システム。


何も考えずに、上の権力から決められたことを、
死に物狂いになって、
ただそれだけをこなす人間だけが、
もっともありがたがられるし、出世もするのである。
そうやって社会が安定するし、争いもなくなり、
暮らしもよくなるのである。災いのタネもなくなるし、
何も悩んだり考えたりすることもなく、
何もかもがうまくゆくのである。

しかし、こうした社会は、
外から客観的にながめてみると、
カースト制度そのものである。
また、東アジア儒教が目指したのもそうである。
なんら発展の原理も、変化の理由も持たず、
永遠に固定したままで、
あらゆる人間性を押し殺すことによって、
秩序が成り立ち、維持される社会である。

だからやはり、本当の意味での「実力」、
ないし能力とは、こうした社会システムと対立し、
それを破壊するものでしかないのである。
それは、社会に新たな理由と秩序、
それまでとは異質な原理の登場を意味している。
それが、つまり、私たちの真実の存在理由なのである。

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