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千数百年にわたって東アジアを支配してきた儒教精神。そしてその秩序と上下関係のあり方がそうである。何も変わらない。表面上は一時多少変わっても、内実はけっして何も変わらない。 そしてまた、この変わらない不変のもの、例えば皇帝に対する忠義、親に対する孝行がそれである。こうした上下関係に対する絶対的盲信こそが、東アジア儒教世界の永遠不滅の原理のように思われたのである。 従ってまた、だからこそ同じことが永遠に繰り返されたのであり、そしてまたそれが絶対の真理で正義のようにあり続けたのである。そして、何も「変わらない」ということが最も良いことのように思われたのである。 このような「上下関係」にがんじがらめに縛られて、それに疑問をいだいたり、考えたりするのは、絶対的な「悪」とされる。それは、絶対的な永遠不変の変わらないものであって、どんなことがあっても、変わってはならないものであって、そしてまた、この永遠に変わらないということ自体が、絶対的な真理とされたのである。 そしてこれが儒教原理の本質であり続けたのである。そしてこれを失くしては儒教の現実的システム自体が存在し得ないのである。 |
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