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儒教的な親子関係、すなわち、上下の絶対的関係。 これは、自分がのぞみ願い、そして求めるものがそのまま真理になっている。なぜなら、こうした社会では、親ないし共同体を離れては、人間が生きて行けないということなのである。 だから、そう思わなければならず、そう思おうとするし、それがまた正しいことのように思われているのである。そうした、自分ではどうにもならず、そして同時にどうしても必要なものが、そのまま真理や常識として、あるいは正義や道徳になっているということである。 言い換えると、それが、すなわち自分にとってどうしても必要な、親や共同体といったものが、そのまま自分にとっての存在理由となっていて、心の拠り所となり、自分がどうしても守って行かなければならないもの、それなしには生きて行けないもの、そうした自分にとって何よりも大切な「信じるもの」になっているということである。 |