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まったくバカげている。世の中全体が凝り固まった精神の偏向で成り立っている社会なのである。と言っても、どんな時代、どんな文明でも、そうした何かしらの偏向の合意の上で始めて、社会として人間関係が成り立っているのではないだろうか。 まとまるためには何かしら合意が必要なのであって、それぞれがバラバラでは何もまとまらず、結局何かしらの暗黙の合意が求められるのであって、それはまた、どこか偏ったものにならざるを得ない。バラバラなままでは何もまとまるということがなく、まとまるためには、どこかで偏ったものにならざるを得ないのである。そこでまた、思考が停止される。思考が停止されることによって、無益で不毛な果てしのない思考の混乱から解放される。 そうであるためには「変わらない」ということ。それがこの社会の決定的で致命的な前提となっている。個人というのが、自分で自分のことを生きようとせずに、自分より強い者に媚びて生きて行こうとする。 連なり、しがみつき、がんじがらめにされた、そうした上下関係の中に自分を組み込もうとするのである。それ以外の生き方というのを知らないし、出来ないし、したことも、考えたこともない。それ以外の生き方がないという世界の住人なのである。そうした現実という時代を生きている。そこから離れたところに人間というのが存在しないのである。 |
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