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意志とか能力以前に、そうした発想そのものが意識の中から消し去られている。また、世のなか全体の仕組みがそのように出来ている。学校教育がそうであるし、日本における企業の暗黙の系列システムと仲間化志向がそうである。 従ってまた、個人が個人として自立することもなく、プライバシーや人権といった概念は、このような儒教社会にとっては合い入れないものなのである。したがってまた、いつまでも変わらずに同じことがくり返されるのである。それは永遠不変の絶対的なものとして理解されている。 東アジアでは千数百年、大朝が幾度も変わったが、その根本としてのシステムの実体は決して何も変わることがなかった。変わらないということ、それが絶対的な真理とされたのである。このような自分と他人の区別がハッキリしない、主観性だけの世界を生きている。これは閉じたシステムであって、だからこそ、永遠に不変のもののように思われ続けたのである。 |
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