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3、自律性。



それは、文明の根源としての、文明発祥以来変わることのない生産様式としての稲作から来ているようにも思える。種の保存という要請からである。女と次男以下は切り捨てである。

「種」というのは、主体が持つ内的自律性のことで、どの民族や国民、そして個人の精神の中にも見られるものである。反対に言うと、内的自律性が異なるゆえに、民族や国民というのが様々に異なる気質や性質を持つものとして理解されるのである。

すなわち、異なる民族、異なる国民として理解されてくるのである。つまり、主体が異なるということであって、異なる内的自律性に基づいて生きているということである。そしてそこから現わされて来る、情緒や感情、習性や習慣の表現が、民族や国民としての固有で個性的な歴史や現実のありさまとして現れているということである。

東アジアの場合、土地の占有と維持こそが何よりも大事であって、それだけであって、それだけがあればその他はどうでもよく、またそれだけで子々孫々生き続けて来れたのである。

そしてこの親から子への無限に繰り返されるためのシステムこそが、文明と社会の維持のための不可欠の絶対的条件であり続けたのである。そうしてこそ、文明というのが現実の歴史として残り続け、また政治体制や文化の「型」として、現在を生きる我々の記憶の中に残り続けることができたのである。道徳や常識、習慣としてそうなのである。


戻る。            続く。

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