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4、親子関係。



こうしたことは人間関係、特に親子関係においてよく現れている。「親子の関係」とは、われわれ人間にとって、もっとも身近で、もっとも自然で、もっとも当然の疑うべからざるものと思われてきた。

しかし、実際はどうなのだろう。実際のところ、それはただそうする以外に生きて行く方法がなかったから、そう思われてきただけではないだろうか。現実の必要といったものが、人間をして有無を言わさずそう思わせてきたのではないだろうか。ただ単に、人間が生きている現実といったものが、それ以外の生き方や考え方といったものを許さなかった、ということではないだろうか。

何が言いたいのかというと、自然だと思われている「親子の情」についても、そうではないかということである。親が子を愛し子が親を慕うというのは、人間として当たり前の当然のことのように思われているが、世間の手前から上辺だけ取り繕ってそうしているのであって、何も人間が生まれながら持っている本能や習性とは別のものだということである。

もちろんそうでない人もたくさんいるが、要は、上辺だけの情の「親子関係」もたくさんあると、思えてならないのである。それはただ今日にいたるまで、嬰児や子供が単独で生きて行くことが出来ず、どうしても身近な親が面倒を見てやる以外になかったという、そうした社会環境の現実を表現しているのに過ぎない。必要に迫られてそうしているのであって、本心からそうしているのとは異なるのではないかということである。

親にしても望まずして生まれてきた子もいるし、望んで生まれた子供でもその後に疎ましく思うこともある。また経済的事情から子供を手放す場合もある。つまり、なんでもかんでも自分の子供だから無差別に愛するということでないのである。また、愛し方にも問題があって、愛されたくない子供もたくさんいるのである。要は、親子・兄弟・夫婦と言っても絶対的なものではないということである。


戻る。            続く。

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