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5、上下関係。



話しを元に戻すと、
東アジアに強く見られる絶対的上下関係、男尊女卑などといったものは、その根底に「稲作」という現実の要請があって、土地を守り、そこに子々孫々居続けることが、この社会持続する支配的な条件であり続けたということなのである。そしてこれが制度・常識・習慣として固定化されたのである。

そしてまた、だからこそ上下関係が絶対視されるのである。それだけと言ってもよい。従ってまた、支配と隷属の関係、主人と奴隷の関係が容易に出来上がる。そしてそれが絶対的なものとして固定化される。

千数百年に渡ってそうであり続けたということなのである。そして、このようなシステムから外された者は生きて行く方法がない。人間が生きて行くための方法としては、要するに当時としては、なにが何でも土地にしがみつくという以外になかったということである。そのための人間関係であり道徳であり秩序なのである。

そのための祖先崇拝・親への絶対服従あり、男尊女卑であり、また長幼の序であり、そしてそれを制度として固定したのが長子相続制なのではないだろうか。

このようなシステムの中では、それはどうしても守って行かなければならない前提であり、不可欠の絶対的な要請なのである。従ってまた、こうした背景の中から、それに対応し、それに見合う、そしてそれを正当化する、儒教という人間を上下の関係で序列化し固定する、思想や道徳、それにケイレツ(系列)などという特異な社会経済関係が出来上がる。


戻る。            続く。

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