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自分自身の感覚や情緒といったものが、自分のものではなくなっている。現実と自分というのが、どこかで切り離されていて、自分が自分で無くなっているのである。そしてそれが、どこかで切断されているとすると、それはもはや別のものなのである。自分のものではないのである。自分が自分で無くなっているのである。精神と、自分の身体とがどこかで切断されているのである。 現実に存在する文化や法律、ルールやマナーとか、そうしたことが習慣や当然のこととして、ごく自然な無意識の、気にもならない情緒となっている状態。そうした条件反射、または、考えるということがない習慣と化している状態。しかし、そういう状態ではなくて、それらが本来、自分とは別のものとして異質なもの、違和感を感じるものとして、「現実」になじめないでいる。というのは、自分と現実とがどこかで切断されているのである。 自分の精神と身体がどこかで切断されていて、異質な未知の世界へ自分が迷い込んでいるのである。自分が何か、以前とは別のものになってしまっているのである。そうだとすると、もう一度ゼロから、自分で自分を作り出すか、無理やり獲得してゆくしかないのである。しかし、現実の話として、手元には何もないのである。これがゼロという意味である。目的も理由も原因も不明なままの未知の状態である。 新たに作るといっても、現実には古い使いものにならない材料しかないのである。ゼロから始めるというのは、つまり不可能だということである。しかし、古い既にある使いものにならないものが、いままでとは何かまったく別の意味を持ってくる。同じものが、まったく異なるところから見えてくるのである。異質とか未知というのは、このことなのである。現実より先に自分自身が変わってしまっているのである。 だから、普段、見慣れているものが全く別の意味と役割を持って見えてくるのである。現実が自分に対して、これまでとは全く別のかかわり方を求めているのである。事実、依然とは異なる理由と目的をもったものとして自分に迫ってくる。そして、現実がそれを自分に求めている。 |
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