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3、幸福。



偶然の意思、どうにもならない気分しだい、気まま、目的も理由もなく、その場その時の気まぐれな感情と情緒に支配される。それは自分ではどうにもならないことであって、自分の思い通りに気ままに生きているのである。つまり、ハッキリした目的も、意思も、考えもないのである。

だからまた、外の自然とか、他者といったものを認識することも、理解することもないのである。その必要もなく、意識するキッカケも場面もないのである。理解することもなく、理解もできないから、勝手気まま、気分しだいとなるしかないのである。

自分の思い通りの主観性だけの世界とは、このことなのである。だからまた、理性に達することもなく、自分の思いのまま、自由に生きることが出来るのである。考えたり悩むといったことから、この世の不幸、もっとも根源的な不幸から解放されているのである。

何の規制も制約もない、だからまた責任もリスクもない。だから自由と言えるのである。それは、なにも成し得ない非現実の世界なのである。なに一つ現実に成し得ない妄想の世界だからこそ、それがまた、限りなく自由な世界のように思えて来るのである。妄想とは、つまり、閉じた主観性の世界である。

客観的な現実も、そしてそれが目指す普遍的な方向性をも喪失している世界である。基準と目標を喪失しているのである。だからまた、前進も後退もなく、背面も正面もなく、生も死もなく、自分と他人の区別もなく、苦しみも悩みも存在し得ない世界である。なにひとつ、責任というのが存在しないのである。だからこそ、それが気ままなのであり、自由なのであり、気まぐれな感情だけが支配するのである。幸福とは、このことなのである。


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