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自分自身の原理とか必然性といったものが意識されず、それが他人との関係でもそのまま現れている。つまり、気まぐれと、むき出しの感情、理由なき移り気だけが支配している。従って、これらを統御する力としては、暴力と恐怖、命令しかない。理性も、道徳も届くことが無い、精神の内的反省そのものが無いという世界である。 自分自身というのが意識されることもない。その必要も、キッカケも、場面もない世界である。だからこそ、気ままな思い込みと移り気だけで生きて行けるのである。そしてまた、そうやって生きて行くしかない世界なのである。閉じた主観性の思い込みの世界を、グルグルと永遠にまわり続けるのである。このような世界では、進歩も後退もなく、歴史そのものが不要であって、また歴史という概念そのものが成り立たない世界である。 だからまた、このような世界のなかでは、自己認識・自己意識というのは存在し得ないのである。たとえ幻のように瞬間的に現れたとしても、すぐにまた、わけもわからずに消えてゆく。そうした、客観的精神の拠り所といったものが、現実のなかに存在しないのである。そしてまた、それが存在しないからこそ、気まぐれと思い込みだけが支配する世界なのである。そうやって、それが現実として成り立ち、継続し続けるのである。 |