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普通、人間はだれも、自分の存在に疑惑など感じることがない。アホらしいし、めんどくさいし、それになによりもそれは、自分ではどうにもならないことなのである。しかしこうした、自己否定と分裂、底なしの猜疑心こそが、何かあると思えてくる根源なのである。 人間の暮らしや感じ方、行動のパターンといったものは、本人とはかかわりのない別の意思で動いている。世の中のキズナが求めるところに従って生きている。それが人の生きる道とされ、それ以外の生き方というのが許されないのである。それから離れては生きて行けなくできているのである。それが世の中のシステムであり、ならわしなのである。 そうした意味で、人間は常に何かしら普遍的で永遠な意思に拘束されていて、言いかえると、そうした世間のキズナの中で生きている。 そして、そこからの逸脱は「人間をやめる者」とされ、底なしの不安の原因となる。そしてこの拘束を破壊するのが「自由」なのである。「自由」とは、底なしに不安で孤独な、そして危険な考え方なのである。 それは、破戒と創造の現場でもあるし、まだ見ぬ異界へと続く見知らぬ道なのである。 |
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