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肉体と精神は別々に存在するものではあるが、しかし、それらは一体のもので、分離・独立するとか、自立するということがないのである。自立して、独立した存在として、お互いが補い合い協力してゆく、そういう関係ではないのである。それは本来、同じものを別の角度から見ているに過ぎないのである。 個人というのが、いまだ自立することなく、自己意識というのが自覚されない状態である。つまり、精神の中で、自分と他人の区別がハッキリしない、そんなキモチの悪い世界である。アイデンティティーというのが、個としてとらえられず、共同体の共有意識、ないし、情緒としてとらえられている。 これがまた、儒教社会の特徴でもあって、コトバとか理屈ではなく、情緒とか気分の「空気」でもって、自己意識がとらえられている。自分と他人との間にある境界線、ケジメといったものが限りなく曖昧で不明瞭なのである。 |