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4、純粋科学がない。



神聖不可侵であるはずの自己の精神の領域や、人格といったものが限りなくぼやけている。自分と他人の区別がない。こうした区別がない以上、コトバや思考でもって自意識を理解することは不可能である。

だから自己意識は存在しない。そしてまた、ハッキリと明確にとらえられることもない。意識されないし、自覚もされないし、理解もされない。意味不明のわけの解らないものとして扱われる。

個人というのがボヤケて、かすんで見えにくくなっている。あいまいでハッキリしない。それどころか、あいまいでハッキリしないことが、「良し」とされる。つまり、何も考えてはならないということである。個人意識、個人の自由といったものは、むしろ、災いのタネ、あってはならないのものとして排除される。

これは学問についても、そのまま言えることで、精神の純粋な自己意識と直接関わり合う純粋科学は排除される。実用と直接かかわりのない基礎科学は、意味不明で訳のわからない不要なものとして排除される。そうやって、社会の秩序が維持され継続してゆくのである。


戻る。            続く。

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