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8、基底。



情緒を基本的に規定しているのは、その文明が始まったときの、生産の様式にあると言える。文明誕生の物的原動力となった、新たな生産の様式である。以来、それがずっと人間の頭の中と身体を支配し続けるのである。

東アジアではこの文明の生産様式=稲作といったものが、20世紀までずっとそのまま続いており、そしてまた、それがすべてであった。そしてその発想や感覚といったものが、そこから出るといったことがなかったのである。

文明の誕生とは、それまでの民族が、それまでとは何か別の民族になったということである。新たに民族が生成されたのである。あらゆる雑多でわけの解らない、様々な民族の吹き溜まり、掃き溜め、それらが入り乱れ、混合され、織り合わされ、統合されて、それまでとは何か別の民族を生成するに至るのである。

それまでとは別の、新たな異質なライフスタイルが生成される。古いライフスタイルではやって行けなくなって、仕方なく、新たな未知のライフスタイルへと方向転換がなされるのである。新たな異質な情緒が求められ、そしてそれが、それ以降ずっと続くのである。言い換えると、ここに新たな民族が生成されるのである。そして、新たな文明が始まるのである。

それまでとは別の異質なシステム、新たな生存の様式が始まったということである。これが文明であって、それまでの民族とは別の民族へと、質的に変化しているの
である。初めそこにいた民族から、別の民族へと統合、あるいは分離、または追い出したということである。

そして、この新たな民族、その情緒といったものは、ずっとそのまま続くのである。ちょうど、文明の生産様式が変わらずにずっと続くように。あるいは、生産の様式が変化したとしても、頭の中は、そのもっとも深部の基底、生地の部分、背景を構成しているのは、やはりそのままであって、ずっとそのまま続くのである。

それ以外になく、続くしかないのであって、続くということが、つまりそれが自分自身の内的同一性になっているのである。しかし確かに、それが破壊されたように見えることがある。15世紀ヨーロッパで始まった「ルネッサンス」である。

しかしこのルネッサンスも「復活」と「再生」、自己の発見などと言って、その根源的なところでは、どこかで継続している。


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